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たまには長文を

探偵はもう、死んでいる。感想

ダイナミックな作画と未知の敵。そして不利な状況での緊迫した心理戦から一気に逆転する爽快感――。
名作を予感させる第1話が、しかし残念ながらピークであった。

前半では率直な感想、後半では本作の原作ができあがる背景について少し深堀りして考察する。

(以下ネタバレあり)

 

推理モノと会話劇と異能力バトルアクションとロボとラブコメを一つの作品に詰め込んだ作品。どうなるかといえば、当然破綻する。

 


ただし「これだけの要素を詰め込んだから悪い」と断ずるのは安直で的外れな批判である。これは強調しておきたい。
ここまで自由な作風で物語を作り世の中に販売できるのは他ならぬライトノベルというフィールドが持っている「懐の深さ」でもあるわけだし、ツッコミどころ満載なのもエンタメとしては一つの立派なあり方ある。

例えば本作では、
・建物の地下で生物兵器を飼っていた
・その近くには乗り込み型の巨大ロボもあった
・その巨大ロボはシエスタが簡単に操作できた
・心臓を移植したら意識も乗り移った
・ヘリに穴が開いても飛んでいる
・飛んでいるヘリと船の上でマイクもなしに会話している
・小型の拳銃に無限に弾がある

挙げればほかにも沢山あるだろうがこれら全て、作者がそう設定したのだからそれで良いのである。(最後のなんてアニメあるあるだし)

それでもなおリアリティの無さが鼻についてしまうのは、作者の世界観の「中」で矛盾が生じているからである。

・カメレオンはシエスタを攻撃できない→めちゃくちゃ攻撃している
・名探偵は事件が起こる前に解決する→結構大規模な事件が起こっている

 

こうなってくると、如何いかな「なんでもありのラノベ原作萌えアニメ」であっても頭の中に疑問符が増えてきてしまう。
なんでもありなら、なんでもありなりの筋が欲しいところ。

 

ではここで少し見方を変えて、この原作ができた背景を探ってみる。
調べてみると2020年の原作第3巻刊行記念インタビューで原作者は以下のように語っている。

>――そんな『たんもし』ですが、探偵・シエスタが既に死んでいるという衝撃の展開から幕が開ける作品です。この構成に至った、着想のきっかけを教えてください。

>僕は散歩が趣味なんですけど、歩いているときによく作品のアイデアが降ってくることがあるんです。ある日、いつも通りに散歩をしていたら、1巻の一行目――「お客様の中に、探偵はいらっしゃいませんか?」という一文がふと思いついて。そこから作品の構想を広げていった形です。
(サイトより引用)

この、
>「お客様の中に、探偵はいらっしゃいませんか?」という一文がふと思いついて。そこから作品の構想を広げていった
が決定的。
こういった「キーとなるワンシーンを思いついて、そこからどんどん構想を膨らませていく」のは原作者にとってきっと最高の幸福だったことだろう。
こういう時は生み出したキャラが勝手に動いていくらしい。この原作者もそうだったのだろうか。

えがきたいシーンが先にあってそれを繋ぎ合わせるようにストーリーを作っていく作品は少なくない。(私が知る作品でもいくつかあったはずだけどパッと思い出せないので割愛します)ただそういう作品は、物語全体として訴えたいテーマとか最終巻でどのように閉じるかが後回しにされがちで、このアニメでもそんな印象を感じた。
確かに最初はめちゃくちゃ面白いんだけど、最大瞬間風速ピークがそこなのでだんだん落ち着いてくるし矛盾点も気になってくる。


メタ的に見ても、本作はタイトルにもあるメインヒロインであるはずの探偵・シエスタが既に亡くなっていることに他の作品にない個性があるわけだが、結局シエスタはなんだかんだとメインストーリーに絡んでくる。
これはやむを得まい。タイトルに「探偵」と書いておいて、死んでいるからと本当にストーリーに出て来なかったらそれこそ意味不明だし、色々と場面を作っては登場させる他ない


こういう作り込みの苦しさまで感じ取ってしまうと、やはり前のめりにハマるというより一歩引いた視点で見てしまうし、感想としても消化不良というしかない。キャラは立っていただけにもったいない。

もっとも、自分があと12歳若ければもっとハマっていたかもしれない。殺し合いの最中でさえ続く「回りくどい言い回し全開の緊張感のない会話劇」はなんともラノベらしいし、例えば『化物語』シリーズをリアルタイムで履修していない若いオタクには響くかもしれない。