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たまには長文を

安達としまむら感想

百合は好きだし日野と永藤の関係は百合っぽかったけれど、安達としまむらの関係が百合かと聞かれると自信をもって肯定できない。安達は童貞の美少女化だし、しまむらは女に冷たいくせになぜかモテる男の美少女化に見える。この二つが重なったときそれは百合と言えるのだろうか。

(以下ネタバレあり)

 

安達としまむら、どちらも人付き合いが得意ではなく、というか人付き合いに価値を感じていないような少女たちの邂逅から物語は始まる。

授業をサボるのに最適な体育館の死角、2階部分で出会った安達としまむらはお互いに会話が下手であるが故に話が弾まない。
この会話のキャッチボールがうまくできないのを初心者卓球でラリーが続かないことを利用して描写する脚本が素晴らしくて大好き。原作由来なのだろうか。小説なら地の文で描写できるかもしれないが、アニメで「会話が続かないこと」を描写するのは結構難しいことだと思う。それを卓球を利用してさりげなく魅せるっていう表現力の高さに感動した。

この描写はデート回にも繋がっているように感じた。安達がチャイナ服でショッピングモールへやってきた回。ゲームコーナーでエアホッケーをやる安達としまむら、ほとんど描写がなかったが安達の圧勝だったことが後のセリフで示唆されている。
安達のしまむらに対する思いが強すぎてラリーが続かず一方的に勝利してしまうこととリンクしているように思えた。

(ただし検索してもそんなこと言ってる人が他に見つからなかったので、単なるこじつけかもしれない)

作中で一番共感したのは第11話のラスト。しまむらのモノローグ。
しまむら「安達と一緒にいると私の可能性は固定される。共に歩く相手を限定すれば選択は淘汰されていく。」

この感覚がめっちゃ分かる。何かを選ぶことは同時に何かを選ばないことであり、あり得たかもしれない他の可能性を消すことでもある
正直無意味ナンセンスな心配だとは思う。

それでも自分のこれまでの人生に照らしてこのしまむらの言葉は刺さる。
だってそうだろう?、将来の夢なんてものがなかった10代の自分にとって、難関校や難関大学を目指して勉強に励んだ目標は「将来の可能性を広げるため」だった。それ自体は間違いだとは思わないし、もし中学生に勉強の重要性を説くなら同じことを言うと思う。
ただその結果、「選べる選択肢は多いに越したことはなく、選択肢が多いのは恵まれたことである」みたいな価値観がどこか心の奥に刷り込まれていて、それ故に何かを選ぶことでそれ以外の選択肢を消すことに抵抗を感じる感覚がよくわかる。わかってしまう。

しまむらからもらった缶を後生大事に部屋に飾っている安達も、女子高生のプレゼントにブーメランを送るしまむらも、思春期特有のズレた感覚だと馬鹿にすることはできなかった。

百合を期待したら百合なのかどうかわからない関係を見せられて、それとは別に心にグサグサと問いが刺さる非常に印象的な作品だった。


その他雑感。
ヤシロが何のために存在しているのか分からなかったのは残念。単なる「狂言回し」の役割かと思ったが、語られるのはまだ先なのだろう。

静かで繊細なピアノのBGMが美しかった。これをTwitterでも呟いたら作曲者にいいねされて一瞬ビビった。