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たまには長文を

アニメ・アイドルマスターシンデレラガールズの思い出

アイマスの関連作品がまた一つアニメ化されるらしいですね。

私は『アイドルマスター』(2011年)と『アイドルマスターシンデレラガールズ』(2015年)を見ていて、原作と言うべきゲームには一切触れていない上に今回アニメ化されるアイドルマスター ミリオンライブ!も全く存じ上げないのですが、監督に「劇場版アイカツスターズ!」の綿田慎也、シリーズ構成・脚本に「アイカツ!」で有名な加藤陽一と発表されているようで期待が高まるのもよくわかります。

今回は「リアリティ」という論点で少しだけ2015年のシンデレラガールズを振り返りたいと思います。

(以下昔話)

 

2015年に放送されたアイドルマスターシンデレラガールズ。今でも記憶にあるのはプロデューサーと美城346常務との社内政治のゴタゴタにアイドルたちが振り回されて重くギスギスした雰囲気が続いていたこと。私は2011年の方のアイドルマスターが大好きで、2010年代個人的アニメ10選の一つにも数えた。それがどうして4年後の2015年にこんな暗い作品になってしまったのかと疑問を覚えたものだ。

アイドル達もどこか未熟な印象だった。成長物語を描くためには最初に多少「下げる」必要があるとはいえ、ワガママな子供っぽい感じがした。

そして作中で描かれなかったテーマにして放送当時感じた最大の疑問。

それは、オーディションに一度落選し、欠員発生による繰り上げ合格者に過ぎなかった島村卯月が最終的にセンターに至る経緯である。

別に島村卯月が嫌いなわけではないし彼女が物語の中心になること自体は分かる。個性豊かなキャラが多い作品では「基準となる無個性キャラ」が必要になる。
これはアニオタ歴が長い人なら思い当たる作品があるだろう。
アイマス天海春香、艦これの吹雪、禁書の無能力者レベル0上条当麻。そして超電磁砲レールガン佐天涙子に至っては、上条当麻を使いにくいスピンオフ作品において基準キャラを作るためにわざわざモブキャラからメインヒロインに据えられたキャラである。
キャラが多い作品において基準となる無個性キャラはそれくらい重要な存在なのである。

故に「頑張ります」が口癖の卯月が基準キャラになることは、アニメ化が決定した時点から確定事項であったことだろう。

私も2015年当時から察しがついていた。

 


だからこそ、卯月の成長物語としても繰り上げ合格からセンターをつかみ取るストーリーが必要だったと思うのだ。

その意味で制作陣はリアリティを履き違えた。社内政治のゴタゴタは確かに2011年のアイドルマスターよりはリアリティあったかもしれない。しかしそんなリアリティのどこに価値があるというのか。

今回アニメ化されるミリオンライブ。私は一人もキャラを知らないが、おそらく実質的な主人公には無個性なキャラが選ばれることだろう。だがそれでよいのだ。
スタッフはアイカツ経験者。アイカツの方が最近元気ないが、きっと良い仕事をしてくれると信じている。放送が見られるならぜひ見たい。