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たまには長文を

かくしごと感想

漫画を描く漫画といういかにも使い古された再帰的テーマでありながら単なるジョーク満載のギャグ作品でないことは肌で感じられる。
毎回最後に少しだけ描かれる退廃的なシーンに不穏な雰囲気が漂う。

(以下ネタバレあり)

 

神谷浩史の声が良い。ずっと聞いていたい。YouTubeに公開されている原作者と神谷浩史の対談を見ると、指名ではなくオーディションで選ばれたことが語られている。
神谷浩史絶望先生の二番煎じになることを気にかけていたようだが、台詞の間の取り方や演技力を買われて主人公に抜擢されただけのことはある。今作も原作の魅力を存分に引き出したと思う。

最終回は確かに見事で、自虐ネタやブラック(に近い)ジョークを散々重ねてきたギャグアニメとは思えない感動のストーリーだった。

しかし個人的に、本作最大の見どころは第11話最後の次回予告だったと思うのだ。
「隠し子……?」という台詞は衝撃だった。
「隠し事」と「描く仕事」のダブルミーニングではなく、姫を誰かの隠し子と誘導することで「可久士の隠し子と・・・・の生活」を暗示させるトリプルミーニングかと思った。思わされた。作者は天才か。


そして最終回で明かされた事実。可久士が隠していたのは「姫に対する、自身が漫画家であること」だけではなかった。「漫画の読者、ひいては我々視聴者に対して、本人の出生や妻の海難事故、そして捜索に収入を費やしていたこと」を隠していたのだ。

現実世界に目を向けてみれば、いかに作者と作品が別であるとはいえ、作品のイメージは作者のパーソナリティに引っ張られる。それは例えば薬物使用が発覚したミュージシャンの楽曲が販売中止になったり、犯罪や不祥事を起こした役者が関わる番組や映画が放送中止になることからもわかる。

故に、ギャグ漫画家として暗い事情は知られてはならないと語るシーンは印象的だった。私はこれまで作品と作品を生み出す人とは別であることを理解できているつもりでいた。しかしそれは思い上がりだったかもしれない。ここまで明確に理解していたとは言えない。
普通なら隠すようなことではなかったとしても、生きるために「かくしごと」をする必要があるのは娯楽を提供するエンターテイナーの宿命なのだろう。

ギャグアニメとして楽しむのも家族愛を見るのも叙述トリックに驚くのも(神谷浩史の長い台詞を堪能するのも)まとめて成立させる見事な作品だった。