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たまには長文を

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?感想

君の名は。」的な雰囲気を期待したリア充が頭に?マークを浮かべて帰るなんて触れ込みもあったが、全く的外れな指摘だと思う。
ストーリーは単純で、分かりにくいどころかむしろかなり分かりやすい。

(以下ネタバレあり)

 

【あらすじ】
主人公の典道とそのクラスメイト祐介は、共にクラスのマドンナ的存在であるなずなに対して密かに想いを寄せていた。しかしこの二人はなずなが母親の三度目の結婚で引っ越さなければならないことを知る由もなかった。
時は夏休み中の登校日の朝。典道と祐介を含めた仲良し男子五人組は近道と称して海岸線を登校していた。そこで典道は、なずなが海で何かを拾ったのを目撃した。この時なずなは綺麗で不思議な球体を拾ったのであった。
昼。プール掃除担当の典道と祐介が掃除用具を持ってプールへ行くと、なぜかなずながいた。なずなはクロール50mで競争しようとしていた二人に加わり、私が勝ったら言うことを聞いてと持ち掛ける。
あっさり一番に泳ぎ終わったなずなは二人の勝敗を見守っていた。普段なら祐介よりも典道の方が速いところだが、このとき典道は25mのターンに失敗して足をぶつけてしまい、祐介が勝利する。なずなは祐介に、夕方の花火を一緒に見に行こうと誘う。
典道と祐介が教室に戻ると、残っていた三人が「打ち上げ花火は横から見ると丸いのか平べったいのか」という話で盛り上がっていた。意見が別れだんだんヒートアップしてきた五人は「それなら実際に夕方の花火を横、つまり灯台の上(高いところ)から見るぞ」とまとまる。
夕方。なずなに好意を抱きながらも告白できずにいた祐介は、気恥ずかしさからか無情にもなずなの誘いを反故にしてしまう。ぶつけた足の治療のため四人と合流しなかった典道は、浴衣姿でなぜか大きな荷物を持ったなずなと出会う。なずなは祐介を待っていたのだが、典道は祐介が灯台に向かったためこちらには来ないことを告げる。
その後、なんとなくなずなと歩いていた典道は、彼女が母親に連れ戻される事態に遭遇する。必死に抵抗し助けてと叫ぶなずなと、何が起こっているのか飲み込めない典道。結局なずなは母親に連れていかれてしまった。道に散らばったなずなの荷物。その中に不思議な球体を見つけ無意識に手に取った典道は、「もしあの時クロールで自分が勝っていたら、そして花火の約束を守り二人で見に行っていたら」と思い、やりきれない感情をぶつけるが如く球体を全力で投げた。
すると突然球体が光り、時間が巻き戻った――。

【もし、クロールで典道が勝っていたら――】
ターンに失敗せず祐介より先に泳ぎ終わった典道は、祐介には聞こえないくらいの小声で夕方の花火に誘われる。教室では花火が丸いのか平べったいのかで盛り上がっており、典道はかすかな既視感を覚える。
夕方。典道の家に遊びに来ていた祐介をこっそり出し抜き、典道はなずなと二人きりで家を出る。その後駅に到着したなずなは典道に対して、これは家出ではなく駆け落ちだと主張する。電車がホームにゆっくりと近づいてくる。このまま電車でどこか遠くへ――、と思っていた矢先、なずなの母とその再婚相手の男に見つかってしまう。男に飛びかかった典道は逆に男に殴られ、抵抗むなしくなずなは連れ戻される。またしても典道はなずなを救えなかった。抵抗の際に再び散らばった彼女の荷物。その中の球体を手に取った典道はどうすることもできずその場を後にする。
その後、四人と合流した典道は灯台を訪れ階段を上り、打ち上げられた花火を横から見た。
それは平べったい花火だった。

――花火は、横から見ると平べったいのだ。

そう納得しかけた刹那、「火薬が爆発するんだから平べったく見えるなんてありえない」という祐介の言葉を思い出す。
「この世界は間違っている――」。典道はポケットから球体を取り出すと全力で投げ、そして叫んだ。なずなは俺が救うと。そして再び球体が光る。

【もし、あのまま電車に乗ることができていれば――】
夕方の駅。男に飛びかかった典道は殴られるのを避けてなお食い下がる。ギリギリで電車に滑り込んだ二人は、なずなの母と男から逃げることができた。
二人しか乗客のいない車内で、なずなはこのまま東京へ行こうかと提案し、歌を歌った。長い長いトンネルは彼女の人生を暗示しているようだった。
しかし二人は次の駅へ到着する前に祐介ら四人と車で追いかけてきたなずな母と男に見つかってしまう。駅で逃げ道を塞がれた二人はホームから線路に飛び降り無理やり灯台まで逃げ、そこで花火を見る。
その花火は、丸くも平べったくもない、それどころか花火ですらない幻想的な光の動きであった。そのあまりにも非現実的な光景にこれが現実でないことを悟った典道であったが、なずなは別にそれでもいいじゃないかと言う。追いかけてきた六人が灯台に着き階段を上ってくる音が聞こえた典道は、海に向かって落下しながら願った。
そして球体が光る。

【もし、電車に乗っていることがバレなければ――】
二人が乗った電車はいつの間にか進路を変え、気が付くと海の上を進んでいた。その不思議な光景にも、もはや二人は驚かない。なずなにとっては最初に祐介の方を誘ったことも、駅で連れ戻されることも、灯台の上から落下することも「知らない」のだが、そうだったと説明する典道を信じると言う。彼女とて本気で親から逃げられるとは思っていなかったが、たった一日だけでもこのような逃避行ができたのだ。
夜。二人が下りた駅は、二人の町の駅であった。帰ってきたのである。しかし空は独特の模様で覆われ、周囲の物体も水の波紋のように揺らいでいる。
二人は海に入り、揺蕩い、キスをした。
その頃、祭りが終わり酒に酔った一人の花火師が海岸を歩いていた。その花火師は浜辺に落ちていた大きな球体を、花火の尺玉と勘違いして打ち上げた。それは花火のように空中で弾け、「もし」の世界が終わりを迎えた。
「もし」の世界が壊れ、様々な「もし」の可能性のかけらが舞いながら、世界は現実に戻った。

――夏休み明け。教室になずなの姿はない。
そして、典道の姿も――。

 

……あらすじを書くだけでだいぶ長くなりましたが、ここからが感想です。

内容を完璧に理解したと言うつもりはないけれど、ストーリーはそれほど難しくないと思う。ifを重ねていく展開で、切り替わるのも分かりやすい。
分かりにくいと言われそうな要素があるとすればこの映画が「言葉じゃなく絵で語る」作品であるということ。
例えば作中何度も現れた風力発電の三枚羽。必ず時計回りに回転しているそれが時間の一方向性を暗示していることは明らかだ。そして「もし」が発動して時間が戻るとき反時計回りに回る演出は、単純と言えば単純だが実に気持ちよく決まっている。
私はそれに加えてこの三枚羽が、メインキャラの三角関係をも示しているように思えたのだが流石に深読みし過ぎだろうか。
時計回りと言えば灯台の光もそうだ。二本の光が回転している。こちらも時間が戻るときだけ回転が逆になる。
ラストシーンで舞っていた「もし」のかけらも時計回りに回転していたようだ。ここでは時間が巻き戻るのではなく本来の世界に戻る変化なので、反時計回りではなく時計回りで正しいのだ。細かい。渋い。

もう一つポイントを挙げるならトンネルであろう。
敢えてやっているのは分かるのだが、それにしてもあまりに長いトンネルだった。長すぎるトンネルは母親が三度目の結婚をするというなずなの複雑な人生そのものを示しているのだろう。
しかしそれ以外にもこのトンネルには役割がある。
アニメにおいて「電車×夜」or「電車×トンネル」と来れば「電車のガラスが鏡のようになりキャラを映し出す」、アレである。(店などのガラスに自分の姿が反射するパターンもある。)
アニメファンなら多くの作品で数えきれないほどこの演出を見てきたはずだ。
なずなが自分を見つめ直す。鏡そのものを使わず自然にそれを見せるためには電車とトンネルの両方が必要で、本作でもうまく働いている。
使い古された古典的な魅せ方なのだが、まるでお手本のような使い方で非の打ち所がない。
(往々にしてこれをやりたいがためにキャラクターを電車に立たせるのだが、乗客をたくさん描くのが大変で、ガラガラの電車でなぜか座らず立っているという不自然な構図になりがち)


作画面では、過剰な顔のアップや文字の多用、幾何学模様の背景、シャフ度、非現実的な部屋のレイアウトといったいわゆるシャフト演出は鳴りを潜めた。
一般人ウケを考慮したためであろう。単にリアル寄りの作風に合わないだけかもしれないが。

しかしそれでもそこはシャフト。個性はそう簡単に隠せない。
例えばシャフト名物の螺旋階段。学校でも灯台でも独特な存在感があった。灯台は必然的に螺旋階段だろうけど、学校も螺旋階段なのだからにやりと笑ってしまう。
隠しても隠し切れない個性がちゃんと感じられる。わかる人にはわかる。

もう一つは水の作画。プールにせよ海にせよ、水の作画にとことんこだわったのは明白で相当な気合いの入れようだった。


そしてこの映画の魅力を形成している最大の要素はやはり色遣いだろう。
特に花火の色遣いはこの映画のキーになるだけあって息を呑むほどに綺麗だった。
色彩設計は滝沢いづみと日比野仁。花火の色彩をどちらが担当したのか言い当てる自信はないが、個人的にこの二人はどちらも好きなので正直どちらでもよい。共同かもしれないし。

シャフトらしい作画を控え一般受けするレベルまでマイルドにしておきながら、それでも滲み出るシャフトらしさを見ているとやっぱり唯一無二の価値がある存在だと思う。

そして最後はオープンエンド。引っ越したなずなだけでなく典道も教室にいない。
彼がどこで何をしているのか。なずなを追いかけて町を出たのか、屋上か海かどこかで黄昏れているのか、それは分からない。我々視聴者の想像に任された。
この結末に対しては賛否が分かれているようだが、花火を見終わった後のあのなんとも言えない浮遊感に近い感覚になる魅せ方だと思うし個人的には良いと思う。

総括としては最初にも言った通り、ストーリーも演出もシンプルで分かりやすいと思う。
町の名前が「茂下(もしも)」なのはそのまま「if」だし、球体が光るときのフィラメントのような部分も「if」の形になっている。
今回の記事はかなり長くなったが、難しいことは書いていないはずだ。

シャフトらしからぬ(?)直球勝負な作品。
手堅い良作だった。