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たまには長文を

リコリス・リコイル感想

平和に見える日常の裏で殺人許可証マーダーライセンスを有する治安維持組織の少女たちが秘密裏に犯罪者を抹消している世界。
原作のないオリジナルアニメということもあってか毎回続きが気になるように終わって、その構成の妙に惹き込まれた。話題性もクールで一二を争っていたと思う。

(以下ネタバレあり)

 

とにかく千束とたきなの関係性だけが百合アニメ的にフォーカスされがちなんだけど、千束、たきな、DA、真島etc、それぞれがそれぞれの正義感に基づいて行動する展開は好き。
真島の人気が高かったのも彼なりの矜持がどこか視聴者の心に響いたからだろう。
単純な「正義 vs 悪」じゃないのが良い。

思うに本作の面白さは、先の読めない展開のように見せかけてある程度先が分かる「手堅さ」だろう。

例えば第6話。
単独行動は危険だとたきなと千束が24時間一緒にいるようにしていたくせに、後半では千束があっさり一人で出かける。襲撃されるフラグは誰の目にも明らかだった。第6話にはもう一つ工夫がある。リコリスが連続で襲撃されるという重々しい序盤から、千束の「じゃんけん21連勝」を経由することで千束の特殊能力を説明しつつ空気を軽いものにしていた。それが後半で千束が襲われるときの落差を作り出す。
上げては落とす、落としたら上げる。ギャグとシリアスの行ったり来たりが面白いわけだ。

 


一方でいつでも先が読める単調なストーリーだったわけではない。
真島の神出鬼没っぷりには毎度驚かされた。ロボ太の拠点だけでなく千束の家にも現れた。しかも入ってきた描写はすっとばして、くつろいで映画談義しながら千束とコーヒー飲んでるから面白い。真島が千束の家に来たのは第8話のBパート。Aパートでは千束がハロウィンコスで街中を歩き回り、たきなのウン○パフェが出てきた。誰もがギャグ回だと思っていたはずである。
さらに真島は終盤になると、どうやって会ったか吉松に拳銃を向けているし、吉松は吉松で自分の心臓抜き出して人工心臓入れてるし意味が分からない。そんなの予想できるかよ。

その他の好きなポイントとしては、
・リコリコ閉店で散り散りになったメンバーが結局再集結するところ
・ミカの足が実は問題なく動く設定
・レクサスLFAに興奮する千束
・検索しても出てこないBar Forbiddenをクルミが見つけてくるシーン
など。あとは第2話で、殺すはずだった千束から逆に手当てを受けた敵が戦意喪失して千束に敵の位置をバラすのも好き。殺し合いの中にも義理と人情がある。


さてアニメ本編の感想のほかに、別の側面からも書き残したいことがある。
中盤以降、少しずつ批判的な考察が視界に入るようになった。多かったのは「設定がガバガバ」だということ。
確かに言いたいことはよく分かる。
犯罪を未然に・・・防ぐと言いながら地下鉄の駅は盛大に爆破されてるし(真島たちがやってくることは掴んでいたくせに)、戸籍がないと言いながら車は運転できるみたいだし(これはまぁどうにでもなりそうだけど)、挙句に電波ジャックと延空木での戦闘は全部作り話でしたで逃げ切ってるし、ツッコミどころを挙げればキリがない。

私自身、水面下での攻防が気に入っていたのでテレビの電波をジャックして真島が全国に向けて演説するのは違和感を覚えた。まぁ演説口調の松岡禎丞の声は大好きなんだけど。

 


私もあと10歳若ければこういうストーリー展開をドヤ顔で批判してていたかもしれないし複雑な気分である。
それでも本作は「狙ってそういう風に作られたもの」と理解しなければならないと思う。

それには本作のスタッフ陣に目を向ける必要がある。

監督・足立慎吾は90年代から業界にいて、一貫して作画畑を歩んできた方だ。手掛けた作品は数多く、中でもWORKINGやソードアート・オンラインが有名だろうか。私も足立慎吾の名前を見た瞬間に(名前を検索して調べるまでもなく)「ソードアート・オンラインのキャラデザをやっていた人だな」と思った。
しかしいくらベテランとは言え、初監督・初シリーズ構成・初脚本というのは意外だった。

私も見始める時に真っ先にここに着目している。

一人で脚本と絵コンテをやるケースは非常に少ない。まして初監督作品でそれをやるのは大変なことだろう。
しかし例えば「プリンセスコネクト!ReDive」(2020年、2022年)では金崎貴臣監督が見事な“二刀流”をやってのけたし、できないと決めてかかるのは偏見である。そんなわけで期待と不安が半々だった。

第1話を見る前からこのことに気づいていたので、作風としてもまず絵が先に来て脚本が後追いなのかなと予想していた。音楽だって歌詞から作るパターンとメロディーから作るパターンがあるわけで、アニメ作りだってどちらもあろう。

実際この予想は当たっていた(・・と思う)。
リコリコは「見ていて面白いシーンがまず先にあって、それを繋ぎ合わせるようにして作られた作品」だと思う。
だから見せたいシーン以外の整合性はほとんどと言っていいほど取られていないし、細かな設定は使い捨ての小道具のように消費されている。

でもそれはそれで良いじゃないか、そういう作風なんだから。細部に至るまで整合性を気にしていたらキリがないし、そういうのはやればやるほど変なところで矛盾が出てくるものだ。
割り切って見せたい部分にフォーカスするのはエンタメとして一つの在り方である。

 

 

繰り返すけど批判的な意見もよく分かる。キャラ萌えありきで「ちさたきが尊いから何でもよい」と言っちゃうのは賛同しかねるし、アニメ業界がそんな作品ばかりになるのも困る。

やるかやられるかの殺し合いをしている割には軽口を挟みながら会話したり、クライマックスでは心臓に負荷がかかってダウンした千束を見て真島が休憩を挟んだりと、この辺りはラノベ原作アニメっぽい。特殊能力で銃弾を避けられる千束はともかく、他のキャラもドンパチ銃撃戦をやっている割には銃を外し過ぎだし、好き嫌いが分かれそうだ。

まとめとしては「楽しかった」という言葉がしっくりくる。緻密な脚本ではなかったかもしれないけれど、楽しいシーンを繋ぎ合わせたドキドキ感、ワクワク感は見事だった。

例えるなら、前菜に始まり魚料理や肉料理を経て最後にデザートが出てくるフルコースではなく、バイキングで好きな料理だけを一皿に豪快に並べたような、そんな作品だった。