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史上最強の大魔王、村人Aに転生する感想

転生モノとしては反則ではないだろうか。転生した意味がない。

(以下ネタバレあり)

 

基本設定はだいたい次の通り。
史上最強の魔王・ヴァルヴァトスがその強さゆえの孤独から平凡な生活に憧れ、数千年後の世界に村人として転生した。その数千年後では魔法文明が衰退していた。さらには魔族が動き始める。


唐突に巻き込まれるわけでもなく、別の人生に憧れて自らの意思で転生する設定はまぁ良い。記憶と能力を保ったまま転生するのも百歩譲って受け入れよう。数千年後の世界では魔法が衰退していて、その結果主人公だけがチート級に強いのもなろう系あるあるとして受け止める。
だとしても、転生前の主人公を知る脇役たちがそのまま数千年間ずっと生き続けていたら転生の意味がほとんどないじゃないか?
特に学園講師のオリヴィア。「突然姿を消した主人公を探し続けて数千年」とアニメ公式HPのキャラクター欄でさらっと説明が書かれている。数千年が3千年なのか4千年なのかは置いておくにしても、同じ容姿のまま主人公を探し続けていたのは5億年ボタン並みの虚無感に苛まれる。
外見も中身も女子高生然としたシルフィーも同じく数千年生きているらしい。キャラ設定だけで頭が痛くなる。
もしかしてこの世界では数千年は短い年月なのだろうか。だとすると数千年後に転生した設定自体が大したことなくなってしまうので、どちらに転んでもそもそも設定に無理がある。

魔王の側近が数千年間に渡って生き続けているのを百歩、いや一万歩譲って受け入れるとしても、それではなぜ魔法文明が衰退したのか。機械文明が発達している世界観でもなかったし。

社会なんて(現実世界の時間軸で)10年もあれば時代がガラッと変わるわけで。数千年間で文明が衰退している設定は、結局のところ能力を維持して転生した主人公の強さをさらに際立たせるための舞台設定でしかない。

どんな設定でも「まぁなろう系だから」と許されるのがなろう系の良さなのだから、もっと設定と世界観を作り込んでほしい。

 

タイトルにもある「村人A」というのも最序盤だけ。平凡な人生に憧れたくせに能力を隠さない主人公に辟易するし、目立つことを繰り返しているくせに「やれやれ、目立ちたくないのに」みたいな態度を取っているから正直イライラする。主人公に対してというより原作者に対してだ。設定矛盾が多すぎるのでは‥?

 


急に学園祭でメイド喫茶やり始めたのもキツかったわ。


最終回で作画も力尽きた。 擁護しておくけど第6話の戦闘シーンの作画は凝っていて良かった。