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たまには長文を

彼女、お借りします感想

これまでに見てきたアニメの中でもトップクラスに不快でキツい作品だった。私のみならず少なくない視聴者が『スクールデイズ』(2007年)の伊藤誠を想起したのも無理からぬ話であろう。

(以下ネタバレあり)

 

監督の古賀一臣もシリーズ構成の広田光毅も長年アニメ業界で多くの作品を手掛けてきたベテランだし、確かに続きが気になるタイミングでうまくEDに入っていくストーリー構成には光るものがあった。
故に、このキツさ・居心地の悪さは原作由来なのだろう。

おそらく原作者はレンタル彼女という疑似恋愛がいろいろあって本気の恋愛に変化していく「嘘から出たまこと」を描きたかったのだろうと推測するが、どのキャラも設定の説得力に欠け、面白さよりも違和感が前面に出てきている。

まず主人公。
どんな状況でも自分の都合しか考えず、その場しのぎで嘘に嘘を重ねていく性格がめちゃくちゃキツかった。逃げ癖もあってヒロインをストーカーするシーンはラブコメにしても笑えない展開だった。千鶴の俳優仲間のウミ君を悪人と決めつける思い込みの激しさも犯罪者のレベル。


そのくせ性欲だけは溢れるほどあるようで、自己嫌悪に陥りながらもシコってるシーンが気持ち悪い。ついでにオナニーの比喩にもなってないEDアニメーションもキモい。
レンタル彼女を(本物の)彼女だと祖母に紹介するシーンは見ていられなかった。そんな嘘をついても破滅しかないことくらい20歳なら分かるでしょ。

続いてメインヒロイン・水原千鶴。
原作者の手で「完璧な彼女」として"設計"された彼女に対しては中盤まで違和感はなかった、レンタル彼女をしている理由が明かされるまでは。
いくらアクターズスクールのお金が必要でも、将来女優を目指しているならレンタル彼女なんてできないでしょ?
将来有名になったとしても、レンカノの過去が発覚すればスキャンダルというか相当なマイナスイメージは不可避だし、この回で千鶴の設定の説得力も一気になくなってしまった
中盤で一度和也の祖母に対して関係が嘘であることを告白しようとしたシーンがあったと思う。そこで事実を伝えず嘘に加担した千鶴の意図も見えなかった。まぁこれは後に千鶴自身が和也に惹かれ始めていることの伏線のつもりだったのだろうが。

キツさでいえば麻美の性格の悪さも相当なものだが、捨てたはずの男がモテているのを見て執着心が芽生えているのはむしろリアリティがあるし、人間の感情として本作で一番自然なのはこの麻美だと思う。
そして本作の数少ない見どころでもあるのだが、悠木碧の演技力がとにかくすばらしかった。これまでの悠木碧の中で一番良いかもしれない。

更科瑠夏るか
かわいい!(唐突)
アプローチは強引だし路上で泣き出すしでこの子もキツいといえばキツいのだが、るかもやはり設定の説得力が薄い。
「ドキドキするから」というのはいくらなんでも雑すぎでは。もっと和也を選ぶ説得力のある理由が欲しかった。
この設定の軽さも相俟あいまって、るか推しの私としては和也みたいなゴミ男から早く逃げてほしいと思ってしまう。

そしてそれ以上に、きっかけはどうあれ主人公に対するるかの思いは本気なのに、それを「虚言癖」と切って捨てる主人公は人として最低だった。シリーズ通しても最悪のセリフだった。このシーンが原作通りなら原作者の人間性を疑ってしまう。
虚言癖は!!!
お前だろ主人公!!!

そして終盤で出てきた桜沢すみ
あまり深堀りされていないので詳しくは2期を待つべきなのだろうけど、人見知り具合が極端すぎてやはりこの子の設定も説得力がない。相槌すらままならないのはそもそもレンタル彼女になれないでしょうよ。

 

本作、キツいキャラが多すぎて影が薄いがモブキャラの木部もけっこう酷かった。大学生にもなって殴り合いで分かりあうみたいな展開を見せられて共感する視聴者なんているんだろうか。そういうのを20歳でやったら普通に傷害事件である。殴り合いが"映える"作品ももちろんたくさんあるが、本作でやっても合わないと思う。

さて、旅館で和也と千鶴を同室になるよう仕向ける祖母組も含めて改めて本作を振り返ってみると見えてくる構図がある。

この作品の登場人物キャラクターたち、揃いもそろって他人の都合を全く考えていないのである。モブキャラも含めて自分のことしか考えてない。
上述したように本作のキツさの大部分は嘘に嘘を重ねる主人公の幼稚さと無責任さであるが、世の中にあふれる「難聴系ハーレム主人公のラノベ原作アニメ」と比較しても群を抜いてキツい原因はここにあると私は分析する。

それは例えば主人公の何気ない台詞にも現れる。第何話だったか忘れたが半分泣きながら千鶴に謝る和也のセリフは「ありがとう」であった。よく見ると謝っていないのである
であればその涙は何なのか。それは千鶴に対して悪いと思っているのではなく自分の不甲斐なさに対する悔しさであり、その涙に千鶴への謝罪の気持ちはないのだろう。謝罪すべきタイミングで「ありがとう」と言うのはそういうことだ。徹頭徹尾、どこまでも自分本位。

これは一例に過ぎない。こんな違和感が何話を見てもどのキャラを見ても現れるのだからやはりこれは原作由来であり、原作者の人間性をも疑ってしまうほど強烈な不快感の正体であろう。


全編通してここまで「キツいキツい」と苦しみながら見た作品はないかもしれない。これで2期があるのが不思議でならない。
ネットで感想を探しても不快感を訴える声は多いように感じるが、自分たちがノイジーマイノリティなだけで大多数は好意的に本作を楽しめているのだろうか。仮にそうだとしたら、こういう経験(↓)の有無によるのかもしれないとも分析している。

 

2期を見るかは放送時期になったら改めて考えたい。主人公が多少なりとも精神的に成長し、まだ見るに堪える展開になっているとの話もあるが、他人の立場に立って物事を考えられないキャラばかりなのが原作者の人間性によるものとしか考えられない以上、2期で主人公が多少成長したり新キャラが出てきたりしたところでこの不快感と違和感は変わらないだろうし。

というわけでかのかり、かなり愚痴っぽい感想文になったけど本当にキツい作品だった。キャラ設定の説得力の重要性を改めて感じる作品でもあった