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たまには長文を

プロメア感想

圧倒的な迫力と熱量を感じるだけでもお金を払って見る価値は十分にある。
一方で本作は意外としっかり「社会風刺アニメ」なので、そういう観点で振り返ってみるのも面白いと思う。

(以下ネタバレあり)

 【あらすじ】
30年前、突然変異により発生した発火能力を持つ人種「バーニッシュ」。世界の半分が失われる「世界大炎上」の後、バーニッシュは人類との対立を経て、現在ではそのほとんどが収容されている。しかし突然変異のメカニズムは解明されておらずある日突然バーニッシュになってしまう者もいる。
対バーニッシュ用の組織「バーニングレスキュー」の新人隊員である主人公・ガロは火災現場にて過激派バーニッシュ集団「マッドバーニッシュ」のリーダー・リオと出会う。壮絶な戦闘の末逮捕されたリオであったが、収容先にてバーニッシュ達が不当に虐げられている状況を確認し仲間とともに脱出する。
バーニッシュに対する差別意識はこの時代でも色濃く残っていた。ガロリオ逮捕に貢献したとして、かつて自分を救ってくれた尊敬するプロメポリスの司政官・クレイから受けた勲章を胸に、バーニングレスキューの仲間とピザを食べていた。そこにやってきた特殊部隊「フリーズフォース」の隊長・ヴァルカンはピザを焼いていたスタッフがバーニッシュだとして逮捕・連行する。ピザを焼いていただけで何ら罪を犯していないバーニッシュであっても一方的に逮捕され、それまでおいしいとピザを味わっていた客たちまでもが不快感を露わにする状況にガロは複雑な感情を覚える。
やり切れない思いを鎮めるためバイクを飛ばして山奥にある氷の湖までやって来たガロは逃げてきたバーニッシュ集団を偶然目撃する。ガロはこの時、バーニッシュもまた同じ人間であることや収容先で過酷な人体実験を受けていること、そしてその黒幕がクレイであることを知る。
憧れのクレイが悪事を働いていることを信じられず直接クレイに詰め寄ったガロは、クレイの本心と密かに準備が進められている地球規模の壮大な計画を知ることになる。その内容とは、マグマの活発化による地球崩壊が近く消火も不可能なこと、選ばれた1万人のみを乗せる宇宙船を作り地球を脱出すること、そしてその「燃料」にバーニッシュの人々の命を利用することだった。秘密を知ってしまったガロは投獄されてしまう。
2度目の戦闘でのフリーズフォースによる致命的なダメージから復活したリオは龍のような形状となって街を襲う。その混乱に乗じてガロは脱出、リオと共に氷の湖まで飛ばされる。湖の氷の下にあった基地において、バーニッシュ研究の第一人者だったデウス博士のグラフィックと出会う。彼は対バーニッシュの技術を数多く発明した人物であったが地球崩壊の秘密を知ったクレイに殺害されたのだった。デウスは死ぬ前に意識をコンピュータ上に移していたことや、クレイが準備を進める宇宙船の方式では発射と同時にバーニッシュ共々地球が崩壊するためエンジン始動を阻止しなければならないこと、バーニッシュの正体が平行宇宙の生命体でありプロメアと名付けたことを告げる。
ガロリオは博士の作ったロボットに乗りクレイの元へ舞い戻る。壮絶なバトルの末二人は勝利。バーニッシュからその力はなくなりマグマも沈静化、世界に平和が戻ったのだった――。

 

あらすじが長い!(けどこれでもアイナエリス姉妹の関係とかばっさり省略したので許して。)

・はじめに
SNS時代と言われて久しい。「炎上」という単語も聞き慣れたワードになった。ストーリーの裏側に横たわる怒り、偏見、差別といったものともリンクしていて「消火」というテーマがうまく映える。
本作を一言で表すなら「熱い!」とか「熱量」になるだろうし私も異論はない。ただそんな中でも主人公のガロが後先考えないただの「熱血バカ」ではなく、自分の行動で今後周囲がどうなるかを意外と冷静に考えている点がストーリー全体にうまく効いている。
アイナ以外のバーニングレスキューのメンバーやリオの側近二人についてはほとんどストーリーに絡んでこなかったが、2時間しかないことを踏まえると仕方ないだろう。

・ストーリー
展開は文字通り最初からクライマックス。
ドーン!!、ギュイーン!!!、ドカーン!!!!みたいな迫力あるアクションが続いて冒頭から圧倒される。
敵対する者同士が協力して真の黒幕に立ち向かう展開が大好きなので、こういうストーリーはまさにストライクゾーンど真ん中。2013年のキルラキルもそうだった。見どころは派手なアクションだけではない。敵としか見做していなかったバーニッシュが自分たちと同じ人間であることを思い知らされるシーンは印象的だった。

・作画
色使いも独特。テーマが炎なので「赤い炎と黒い煙」が中心かと思いきや、三角形のエフェクトを用いた淡色ライクな原色の炎が面白い。ラスボス・クレイの炎が緑なのも面白い。EDも黄色から桃色へ緩やかに変化する背景だった。往年の名アニメーターは最期まで手描きにこだわるのかと勝手に思っていたが、むしろCGを得て表現の幅を広げたのかもしれない。

・声優陣
ネットでは松山ケンイチ堺雅人に対して高評価が多い印象だが、個人的には微妙だと思った。もちろん堺雅人演じるクレイが善人から徐々に本性を現していく変化は並の演技力では表現できないし主人公ガロ役の松山ケンイチもちゃんと感情が声に乗っていて全然悪くなかった。
ただ題材的に、叫ぶ演技が連続する本作のようなキャラクターをやるのはハードルが高かった気がする。腹の底から叫ぶシーンで少しだけ「台本を読んでいる感」があった。
制作側がこれで良しとしたのだから文句はないが、堺雅人は普段テレビドラマを全く見ない自分でもすぐわかったし、どう聞いても身体のゴツいオッサンの声ではないわけで、声作りも含めてベテラン声優を起用しても良かったのではと思う。リオ役の早乙女太一は良かった。

・その他印象に残ったところ
終盤で死に瀕したリオを救おうとガロが人工呼吸をするシーンがあり、目を覚ましたリオに対してガロが恥ずかしがるような態度を示している。人工呼吸自体が初めてだったから、ということで不自然な描写ではないものの、仮にも人命救助を志す人間なのだから変な態度を取る必要はない。
人工呼吸はれっきとした医療行為なのであってキスではない。人工呼吸の描写があるアニメは得てしてこんな見せ方をさせがちなので今回も気になってしまった。人工呼吸自体の描写は気道確保とか細かいところまでリアリティがあって完璧だっただけにちょっと残念だった。
(女性へのAED使用にためらいの意識があるのもこういう描写の積み重ねだと思う。)

もうひとつ。宇宙のシーンで、惑星の軌道の中に冥王星が含まれていたのがなぜか印象に残った。惑星の定義が決められたことにより冥王星準惑星になったのは2006年なので、2019年の今となっては冥王星の軌道は描かないのが正解だ。
ではなぜ敢えて描いたのだろうか。制作陣が冥王星にこだわりを持っていたとか冥王星を支持するアメリカの一部の人に配慮したとかいろいろ想像したものの、ある仮説を思いついた。
すなわち、冥王星の軌道がないと惑星の軌道だとわからないのではないか
「惑星 軌道」なんかで検索すると未だに冥王星の軌道が乗った画像が多い。もしこれが定義に基づいた作画になれば太陽を中心とした同心円が複数ある簡単な図になってしまうだろう。ところが外側に一つだけ微妙にズレた冥王星の軌道があるだけで人は一瞬で惑星の軌道だと理解できる。というかできてしまう。つまりアニメ側の都合だったのではないだろうか。アニメ側の都合で敢えて事実と違うことを描く、ぱっと具体例は思いつかないがいろいろありそう。


・最後に
プロローグにおける炎は満員電車やDV、交通渋滞といったストレスや怒りに呼応して発生する現象だった。
私たち人間がいくら注意していても火事がなくならないのと同様に、こうしたストレスや怒りはいくら抑圧したとて、いや無理に抑圧すればするほどいつか必ず爆発する。
その爆発を「火事と消火活動」になぞらえているところにアニメーションとして魅せる切り口があるわけだが、ただの変換ではないことに注意が必要かもしれない。
もしバーニッシュフレアが火事に対応する概念ならば「そもそも起こらない」のが理想だ。あるいは被害が最小限になるよう速やかに消火すべきだ。

ところが終盤でプロメアの声を聞いたリオが導き出した答えは燃やし尽くすこと
怒りもストレスも適切な方法で発散しなければならない。単に「消せばよい」ものではないのである。

ここでガロの行動に改めて着目してみると、彼は消火に対して熱意を持っているものの終盤に至ってもなお地球崩壊に対しては能天気で「地球脱出じゃなくて崩壊の方は何とかならないのか」と聞いている。デウス博士の解説シーンでも寝ている。もう物語は終盤、プロメアの核心に迫る重要な場面でありふざけたギャグ調のシーンをやっているタイミングではないのだから決定的である。
こうなるとHPのキャラ紹介でも書かれている"新人隊員ながら、態度は誰よりも大きい。"というキャラ設定も怪しい雰囲気を纏ってくる。

正義感や情熱を持って行動している(そして態度も大きい)人間が、問題の本質を理解していない/理解しようとしないとき、ズバリどうなるか。

――それは却って害悪となる。
独善的な正義感で他者を攻撃するクレーマーや正論おじさんが跋扈する現代社会を見事に風刺している。
最初の方にSNS社会と書いたが現代は同時にストレス社会とも言われる。
ストレスもまた、単に消せばよいものではない。不完全燃焼ではなく適切に燃焼させることが必要なのだ。
自粛や配慮を他人に強要することで自分たち自身の首を絞めている、本作はまさに私たち現代人が直面するそんな問題に切り込んだ作品と呼べるかもしれない。