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たまには長文を

さよならの朝に約束の花をかざろう感想

岡田麿里初監督作品は、岡田麿里らしさが溢れる作品だった。

(以下ネタバレあり)

 

【あらすじ】
10代半ばの姿で数百年を生きる種族「イオルフ」。両親のいないイオルフの少女マキアは仲間に囲まれながらも孤独を感じていた。イオルフはその寿命の長さから「別れの一族」と呼ばれ、人里を離れヒビオルという布を織りながら静かに生活していた。しかしそんな穏やかな日常は一瞬で崩れ去る。イオルフの長寿の血を求めメザーテの軍が襲撃してきたのである。イオルフ一番の美女レイリアはメザーテ軍に連れ去られ、メザーテが持つ古の獣「レナト」の暴走に巻き込まれたマキアは遠く離れた森で一命をとりとめるも帰ることができなくなってしまった。
森を彷徨うマキアの耳に聞こえてきたのは赤ん坊の泣き声だった。盗賊に襲撃され親を殺された赤ん坊の男の子にエリアルと名付けたマキアは、"母親"としてエリアルを育てていく――。


この映画を見ながら頭に浮かんだ岡田麿里作品が2つある。
凪のあすから」(2011)と「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(2013)である。
個人的に岡田麿里脚本の特徴の一つに、
時間の不平等性
があると思っている。
凪あすでは「冬眠」、あの花では「幽霊」という形で他のキャラとは異なる時間軸を持つキャラを出して、その差に思い悩むストーリーを書いた。

本作では数百年の寿命と変わらない容姿をもって時間の不平等性を描いた。
序盤、寿命で死んだ犬を埋葬しながら
人はみないつか死ぬ、子供よりも親の方が先に
という原則を示した。亡くなったのが人ではなく犬だったのも上手い。
その上で
なぜ人間を育てるのか、自分より先に死ぬのに
という問いを突き付けてきた。

この問いに対する答えはきっと存在しないのだろう。
強いて言えば「母親だから」だろうか。
そもそもマキアはエリアルの本当の母親ではない。自分で生んだ訳でもないし。それでも必死に「母親」になろうとした。自分一人が生きるだけでも大変なのに、見ず知らずの命を救おうと努力した。
それ自体に価値がなくてなんだというのか。

エピローグで老衰により死を目前にしたエリアルの元を訪れたマキアが相変わらず10代の姿なのがまたなんとも重い。そしてエリアルの死を見届け、「母は泣かない」という自らに課したルールを最後の最後に破って泣いてしまうマキアの描写も見事だった。個人的にはここが一番心打たれた。

母といえば、本作には実に4人の母が登場する。
エリアルを育てることにしたマキア。
メザーテ軍に連れ去られ望まぬ形で子を作るも特性が遺伝されず長年一人隔離され続けたレイリア。
夫を亡くし女手ひとつで息子二人を育て、マキアの面倒も見たミド。
エリアルと結婚し新たな命を授かったエリアルの幼馴染ディタ。
4つの異なる母親像がたった2時間の映画にしっかり詰まっていた。
特にマキアとレイリア。数百年の寿命と変わらぬ容姿を持ちながら母親になったことによる変化の大きさは特に印象深かった。

それを強調するように、クリムの一途な思いが届かなかったのも憎い演出だった。クリムはレイリアを救うべく何年も苦労してきたのにレイリアは「望んだ形でなくとも私の子供がいるから」とクリムの手を取らなかった。
クリムはクリムでレイリアを救い元の生活に戻るために頑張ってきたのに、子供ができたレイリアにとって元の生活は受け入れられない選択だったのだ。
母親になるということはこんなにも大きな変化をもたらすのだろうか。



さて――。
実は本作を見ながら思い出した作品がもう一つある。
細田守監督の映画「おおかみこどもの雨と雪」(2012)である。

この作品、個人的にはあまり好きではない。
19歳の女子大生が出会ったばかりの男(おおかみ)と後先考えず子供を二人も作り、周囲に迷惑をかけまくりながら田舎へ逃げ、そこで周囲の助けをもらいながらなんとか育てたことをあたかも「母は強し」という美談のように描いた展開がどうしても腑に落ちなかったからである。

この違和感は今回さよ朝を見たことで確信に変わった。
子育てに悩む母親像を描くのに、女性である岡田麿里の方に一日の長があることは明らかだった。リアリティが全然違った。
細田守が男だったからダメと言うつもりは全くないけど、埋まりようのない男女の差は確実にあった。)


もうひとつ。
岡田麿里は「飛べる」という表現にこだわりを持っている。
序盤、高い所から水に飛び込んで好きに泳ぐレイリアに対してマキアは怖くて飛び込めない。勇気がなかったからだ。
この描写、そしてP.A.Works岡田麿里といえば……。
そう、名作「true tears」(2008)である!!

この作品では乃絵が努力する者、変われる者、成功する者を総称して「飛べる」と表現した。それをニワトリや飼育小屋を使って巧みに描いたが故に難解で分かりづらい面もあったが、時を経てなお名作と謳われる理由の一つとなっている。
10年も前の作品とここでリンクするのが感慨深い。


気になった点を一つだけ。
タイトルの「さよならの朝」はまぁ分かる。エリアルが老衰で亡くなるのをマキアが見届ける日だろう。ただ「朝」じゃなかったと思うけど。
それよりも「約束の花」が分からない。花を取り上げたシーンってあったっけ?
タンポポを取って「ふぅーっ」って種を飛ばしたシーンはあったけど、約束の花というほど深く描かれてはいなかった。
タイトルと内容が合ってないのはどういうことなのだろうか……。

 

そろそろまとめよう。
この作品は岡田麿里の脚本家としての集大成と言える。
これまで彼女が手掛けてきた作品のベスト盤と言ってもいいかもしれない。
とりわけ、これまで岡田麿里脚本を多く見てきた人にこそ見てほしいし、魅力を強く感じられると思う。
家族愛の一言で収めるにはもったいない濃密で緻密な展開がこの2時間に詰まっていた。マキアが育てたエリアルの一生を描きながらも他の母親像まで描いた展開は私の好きな群像劇のようでもあって、見終わってなお余韻に浸れるとても味わい深い作品だった。