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たまには長文を

天気の子感想

上映開始当初は本田翼の演技が下手だという口コミが多かった。私もどちらかと言えば棒声優には厳しい方だが、実際に見てみると全然気にならなかった。
口コミは所詮口コミ。自分がどう感じたのかが重要で、だからこそ誰にも読まれなかったとしても感想を書き残す意義がある。

(以下ネタバレあり)

 

【あらすじ】
離島から家出して東京にやってきた16歳の主人公・帆高。しばらくネットカフェで生活していたが資金はすぐに底を突きホームレス状態になる。ハンバーガーショップで夜を明かしていた折、アルバイトとして働いていた陽菜からこっそりハンバーガーの差し入れを受ける。お金が無くなった帆高はフェリーで出会った圭介のもとに身を寄せる。圭介は姪の夏美と共にオカルト雑誌の執筆をしていた。
圭介に雇われ取材をしていたある日、帆高は陽菜が風俗バイトに連れ込まれそうになっている場面に出くわし、ゴミ箱から偶然見つけた拳銃でスカウトへ銃口を向けて撃ってしまう。幸い銃弾は当たらず、放心状態のスカウトの隙をついて陽菜共々逃げ出すことに成功した。だがこの時の様子が防犯カメラに写ってしまい、以後帆高は警察から追われることになる。


多くのネットユーザーにより、本作はゼロ年代の名作エロゲの要素をふんだんに盛り込んだ作品と分析されている。
世界を変える能力を持つ少女とその事情をただ一人知る主人公。主人公にもヒロインにも親の姿はなく、居候先にはスタイルの良い女子大生。いかにもエロゲ的だ。衣食住に加えて通信料金まで出してくれる設定は時代か。
劇中様々な選択肢が画面に浮かびながら、特定の選択肢を選び続けてたどり着いた一つがこのエンディングなのだ。そんな感じがすごく伝わってきた。

舞台が2021年なのも絶妙だ。東京オリンピックが終わって、いよいよ日本経済に明るい話題がなくなった年。
未来として遠すぎずすぐそこの現実として捉えられる。

作画の緻密さはさらに実写に近づき、約10年前の「ef」のアニメーションを初めて見た時の衝撃に近いものがあった。水が跳ねる作画とかスマホの画面とか、ものすごく写実的だった。


正直に書くと、2時間のうち8割は「帆高には共感できないなあ」と思いながら見ていた。
それは東京に出てきた理由が家出だったり、家出の理由も曖昧だったり、バイト探しの手段がYahoo!知恵袋だったり、自分のみならず陽菜や小学生である凪を巻き込み行く当てもなく逃走を試みる根本的な計画性のなさに起因する。

これらの特徴はクライマックスでの「選択」を見れば、敢えてこういうキャラ付けにしていたのだとはっきり理解できる。
「世界の安定か、目の前の少女か」
この究極の二択に対して帆高は「少女」を選ぶ。10代中盤の思春期の少年のエネルギーが為せる技だ。最初から先々を見据え、計画性を持って行動する人間にはこの選択肢は選べない。
私たちは年齢を重ねるにつれ不平不満を自分の中で押しつぶし、或いは割り切り、社会に迎合して生きている。

では、この選択が果たして私にできるだろうか――。


劇中、いろいろなキャラが何度も警察を出し抜く。警察の無能っぷりもすごかったが、基本的に「正義」は警察や行政の方にある。捜索願が出ており拳銃所持の疑いまである家出少年を探すのも、学校に行かず年齢を偽ってバイトしながら小学生の弟と二人だけで暮らしている女子中学生をなんとかしようと行政が動くのも"正しい"。

――が、正しいからなんだというのだ。
「世界なんて元々狂っている。」
そのセリフは主人公を通して私たち観客に向けられている。

私もまた常識という名の偏見に囚われていたのだろう。


※念のため補足すると、勢い任せの短絡的な選択が良いとは言っていない。
陽菜は晴れをもたらし感謝されることに自分の役割を見出みいだした。溌溂はつらつとした笑顔の裏で"代償"は確実に彼女の体を蝕んでいった。
夏美も終盤でパトカーの制止を無視して帆高を目的地まで近づけるカーチェイスをやってのけた。その表情は確かに明るかった。しかし就活真っ只中の彼女がやって良いことではない。

 

エロゲ全盛期のゼロ年代には若すぎて、世界よりも少女を選ぶには老いすぎた私に、新海監督は実にクリティカルな課題を突き付けてきた。

天気の子、すごく考えさせられる作品だった。

まぁ社会を敵に回してでも選びたい女の子なんてものに出会ったことないんだけどね。