change direction

たまには長文を

スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました感想+考察

2021年春クールで一番癒された。可愛らしいキャラデザとそれを最大限生かす背景まで丁寧な作画。バタバタしつつも最後は丸く収まる温かいストーリー。萌えアニメはこれでいいんだよっていうお手本みたいな作品。
特に第6話の作画はすごかった。めっちゃよく動いていた。

(以下ネタバレあり)

 

一切ノーストレスで見られる極上の癒しアニメだった。主人公・アズサは前世で過労死したOL。そんな彼女が不老不死になり永遠ののんびりスローライフを満喫している。家族も増えて最終回ではこれまでのキャラが勢揃いするという最高のシナリオ。これはシリーズ構成・高橋龍也がすばらしい。この人の脚本は昔から好きで、名前を見かけるたびに「おっ」と思う程度には常に名前を覚えている。本作でもお見事でまた一段階好きになった。
マシンガントークのようなOPも楽しくて良かった。

 


以上。感想終わり。

感想は終わるけど、終始気になっていた設定があるのでそれを考察してみたい。

 

【考察】いくら心の壊れた元社畜でもスライム倒して300年も同じ生活ができるのか?

第1話の冒頭を振り返ってみよう。
前世の相沢梓27歳OLは50連勤して過労死した←わかる
転生したならのんびり暮らしたい←わかる
だから不老不死にしてください←うーん??
そして、300年が経った←は??????????????

①300年も同じ家で、同じ服を着て、同じことをして生きていけるのだろうか?
②西の町を訪れたアズサが「結構大きな町だねー」と言ったが、300年も生きていて一度も来なかったのだろうか?
③小さくて平和なフラタ村、発展も衰退もしないで300年同じ生活水準を保っているのだろうか?
④300年より長く生きている種族もあるのに、"たった300年スライムを倒し続けただけ"でレベルMAXになるのだろうか?

ざっと思いつく疑問はこの4つ。細かくはもっとたくさんあるけれど割愛する。

①300年も同じ家で、同じ服を着て、同じことをして生きていけるのだろうか?
まずこれ。いくら前世で過労死していても、いくらのんびりスローライフを送りたくても、同じ生活をそんなに続けるのは精神的に不可能では?
これに対する反論として、アズサが実は重度のADHDで新しい行動を極端に嫌い、同じ行動を繰り返すことに安心感を覚える特性だった場合を考えた。しかしストーリーを見ればわかるようにアズサはどんどん家族を増やすし新しいイベントにも積極的だ。故にこの説は崩れた
しかしそれはそれで、新しい体験がこんなに好きなのに本当に300年も同じ生活をしていたのか?という疑問に戻ってくる。

 

 

②西の町を訪れたアズサが「結構大きな町だねー」と言ったが、300年も生きていて一度も来なかったのだろうか?

 

 
300年も生きていたら行けそうな町なんて制覇している気がするがどうなんだろう。
しかしこれは私自身の人生と照らし合わせても納得できる。単にそれまで訪れたことがなかったのだろう。
何を隠そう私(30歳)も、人生最大の遠出は北海道と京都で、海外はおろか飛行機にもこれまで乗ったことがないのだから。
それに「生まれも育ちもこの土地で、先祖代々この土地を守っている」なんて田舎の人も現実に多いわけだし。ということで気にはなったが許容可能。

③小さくて平和なフラタ村、発展も衰退もしないで300年同じ生活水準を保っているのだろうか?
小さいながらも平和なフラタ村。言葉だけならなんとも良い響きではあるが平和なら徐々にでも発展しないか? あるいは衰退するかもしれない。300年も経てば文明レベルも変わりそうなものだが。それに人間が25年で一世代とすると300年経てば12世代は進んでいる。村の住人からすれば、生まれた時にはアズサが住んでいて死ぬ時も変わらぬ容姿で高原にアズサが住んでいることになる。どこか儚い感じもする。

④300年より長く生きている種族もあるのに、"たった300年スライムを倒し続けただけ"でレベルMAXになるのだろうか?
中盤からドラゴン族や魔族が出てきて300年以上生きていることが分かる。とすれば誰でも倒せるスライムを倒し続けただけでレベルMAXになってしまうのは少々ズルい気もする。1000歳を超える魔王の娘・ペコラに勝ってしまうのもなんか違和感がある。
これに関しては、不老不死もあるしなんか"経験値ボーナス"があるんでしょうね。こちらも許容範囲。

 

さて、いかな高寿命といえども不老不死のアズサには敵わない。遠い遠い将来、いつか他のキャラたちも容姿の変わらぬアズサを残して死ぬのだろう。世界最後の日にアズサは何を思うのだろうか――。
不老不死設定はそれだけ重いのだがおそらく本作が意図する領域ではないだろうから考察はここまでとする。