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たまには長文を

劇場版 艦これ 感想

このクオリティの8割、いや7割でもテレビ版で出してくれていればまた違ったのではなかろうか。そう思わずにはいられなかった。

(私は艦これゲーマーではないのでキャラも設定もアニメで出てきた分くらいしか知らないし、用語の使い方も違うかもしれません。)

 

(以下、ネタバレあり)

 

前半のあらすじ
轟沈したはずの如月が戻ってきた。しかし様子がおかしく吹雪らのことを覚えていない。睦月は「疲れているだけ」と必死に擁護するが、加賀から「如月はやがて深海棲艦になる存在」と指摘される。同じころ、謎の泣き声と共に海が赤く変色する現象が確認されていた。赤い海域に入ると艤装がダメージを受けるのだが、その範囲が拡大し続けていたため早急に解決しなければならなくなった。
徐々に深海棲艦化していく如月を残し、彼女たちは赤い海域の中心点「アイアンボトムサウンド」を目指して総攻撃を仕掛ける。


本作での大きなトピックは「深海棲艦とは何なのか」について一定の答えが提示されたことだろう。沈んだ艦娘が深海棲艦になる。ただし倒した深海棲艦が再び艦娘として生まれ変わる(生まれ直す?)こともある。故にこの戦いは終わりのない争いではなく、終わりは確実にあって、だからこそ艦娘は誰一人沈むことなく深海棲艦を全滅させなければならない。

なるほどそう聞くと矛盾のない設定に思える。特に艦これゲーマーでない私としてはこれで十分受け入れられた。

プロローグの戦闘シーンは爆発に次ぐ爆発で迫力満点。水上スケートもダイナミックになり見ごたえ十分。余計なおしゃべりが無くなったことで緊張感が増している。テレビ版とは打って変わって引き締まった展開になっている。

また、自らの身体が深海棲艦化していく如月が必死に腕をこすりながら「どうして(腕の変色が)落ちないの!!!」と叫ぶ鬼気迫る演技は間違いなく本作の見どころの一つ。

そしてテレビ版以上に多くのキャラが揃い、出撃前に一致団結するシーンには興奮を覚えた。


後半のあらすじ
赤い海域で艤装がダメージを受ける現象が何故か吹雪には発生せず、(総攻撃と言いつつも予定調和的に)吹雪が中心部にたどり着く。
で、ここから先はどう書いたらいいのかわからないのだが、中心部で敵(?)と対峙した吹雪は、自分もかつて轟沈したことを知らされる。その際、戻りたいという強烈な意志(?)から身体が分かれ(?)、片方は過去の記憶を失って地上へ(これが私たちが知る吹雪)、もう片方は恨み・悲しみ・憎しみといった感情を纏って海底に沈んだ(違うかも)。

敵に身体を縛られ、深海棲艦化していく最中さなか、かつて沈みながらも復活を遂げた自分自身が「希望」であることに気づいた吹雪は、敵を抱きしめた。海底に光があふれ、敵は消滅して事件は解決した。(この説明でいいのか?)

殆ど深海棲艦化しつつもわずかに自我を保っていた如月はピンチの睦月を助けて倒れ、睦月の腕の中で今度こそ消滅した。

 


ネットでさらっと感想を漁ってみた感じ、「謎の光が差し込んで突然解決した」という感想が見受けられた。実際その通りだとは思う。私も「なんかいきなり解決したぞ」と心の中でツッコミを入れた。しかし本当にそれでいいのだろうか。
これは艦これというコンテンツそのものが抱えている構造的な問題なのだが、艦隊の擬人化である以上全ての方向に矛盾のないストーリーを作るのは最初から不可能だ。もしこの決着を批判する者がいるならば、私はむしろ擁護に回りたい。
深海棲艦という「よく分からないもの」を敵にしている以上、その解決もよく分からないのはある種当然の話であり、そして仕方のない話だ。
それに「ラスボス」を他の敵と同様に爆撃で倒しても締まらないし、それこそ誰も納得しない展開だろう。


エピローグでは如月が復活している。このシーンは正直いらなかった。死ぬなら死ぬ、死なないなら死なないでブレずにやりきってほしかった。せっかくクライマックスで感動的な別れを見せたのに、これでは「あの感動はなんだったのか」と思ってしまう。
テレビ版最大の失敗である「シリアスの直後にギャグ回をやる」という一貫性の無さみたいなものが最後に出てしまった。あれでは如月ファンの救済にはなり得まい。

 

さて長々と書いてきたが、以上まとめると、なんと言うか……
「無難に面白かった」

本音の本音を言えば、やはり「唐突に解決した」感は否めない。
ただ、テレビ版と比較して圧倒的に向上した戦闘シーン、爆発、水上移動、そして緊張感のあるストーリー展開を見ると、はっきり良かったと言える。まして深海棲艦の設定を踏まえるとこの決着がベストだと思うし、仮に「じゃあお前が脚本ならどうするんだ」と言われても、これ以上のストーリーはできまい。

 

それでも我々が「それ以上」を期待してしまうのは、艦これの持っているポテンシャルを認めているからに他ならない。
KADOKAWA肝入りのコンテンツである艦これは、まだ終わらない。これだけの成長を見せてくれたのだから続編にも期待していいはずだ。そう思える映画だった。