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たまには長文を

君の名は。感想(1)

感想と言っても、ここで書くことなんて他で既に何百回と書かれていると思う。

(以下ネタバレあり)

 

 

とりあえず全体を通しての簡単な感想。
とにかく絵が綺麗だった。綺麗な絵を継ぎ目なく見せるために逆算して脚本を書いたのかとさえ思った。正直ツッコミ所ならいくつかあるが解釈次第ではそれほど気にするものでもないのかなと思う。入れ替わりフィクションにツッコミを入れるのも野暮だろう。

 

以下、思ったことをいくつか小分けにして書いていく。

(1)「なぜ3年もの時間差に気が付かないのか?」
見ている最中から疑問だった点の一つだ。テレビやスマフォを見ればすぐに年が違うことに気付くはずだ。しかし両者ともそれに気付かなかった。
この点、個人的には
「夢を見ているときはそれが夢だと気付かないから」
だと解釈した。

入れ替わりが「夢の中」なのは予告や宣伝で最初から強調されていた。まして入れ替わりの原理なんて下手に理屈を組むより「夢」の一言で終わらせた方が余程スマートだし、3年の時間差についても夢で説明するのが最もシンプルだろう。

ちなみにこの疑問点を正面から解決しようとすると、
「隕石で村一つ消滅という、東日本大震災レベルの災害を忘れているのはおかしい」
「入れ替わりを自覚した時点でお互いの素性を教え合わないのはおかしい」
といった疑問がどんどん湧いてきて収拾がつかなくなる。


自分自身、この解釈こそが正しいという自信はないが、そもそも入れ替わりフィクションなんだから整合性を求めること自体意味がないように思う。
そんなわけで3年の時間差については疑問にこそ思いつつも、それほど引っかからなかった。

 

 

むしろ、入れ替わってもそれほど困惑していないことの方が不自然だった。入れ替わりでよくあるのはあくまで「知っている人との入れ替わり」だ。だがこの作品は違う。「見ず知らずの人との突然の入れ替わり」である。
「ぶつかった衝撃で入れ替わる」わけでもないし、
「気になるあの人との入れ替わり」でもないわけだ。

ちなみに前触れもなく突然入れ替わることの戸惑いについては、ココロコネクト(2012年)が参考になるかもしれない。

 

話を戻そう。
ある日突然全く知らない部屋で目覚め、身体も自分のものじゃなくなっていたとして、どうしてあの程度のリアクションで収まるのか。
二人ともいつの間にか着るべき服を見つけて着替え、知らない人と食事をし、知らない道を通って知らない学校に到着している。三葉に至ってはバイトまでしている。(電車にも乗っていた気がする。ド田舎の少女が突然できることか?)
三葉や瀧の立場になって考えると、入れ替わりを自覚して「混乱する」なんてレベルじゃ収まらないはずなのに。

 

しかし、この辺りの描写は驚くほど見事に回避されていた。
入れ替わりモノで一番厳しい「周囲との会話がかみ合わない描写」ですら、
「昨日のお前はなんか変だったぞ?」
という事後報告であっさり済まされていた。入れ替わって良かった部分だけが巧妙に切り取られて繋ぎ合わされていた。(パンケーキおいしいとか言ってる場合かよ)
そしてこのような描写を回避したことによる違和感の回避もまた見事だった。
三葉の金遣いが荒いから金が無いとか、バイト先の美人女性とお近づきになれたという生々しい描写を重ねてうまくやりすごしていた。
皮肉っぽい言い方にもなるが、見せ方が非常にうまかった。

 

結局「夢の中」なのだ。夢ならどんなことが起こっても疑問を抱かない。
記録したはずのメモが消えていくのも夢だからだろう。記録したこと自体が夢の中でのことだし、目が覚めてから時間が経てば夢の内容なんて忘れる。
そう解釈すれば整合性は取れている。

 


長いので続く。